私は高校時代から今まで,多くの東大・京大合格者を見てきましたが,賢い子のノートが綺麗だとは限らないと感じています。むしろ,汚いと言っていいかもしれません。なぜ賢い子のノートは汚いのでしょうか。
ノート=アイデアを発散する場所
東大・京大合格者の多くにとって,ノート=アイデアを自由に発散する場所です。思い付いたことをメモしたり,計算式や図を自分なりに書いてみたり,思考を深めるためにノートを活用します。
だから,ノートを綺麗に書くという発想はあまりありません。時間を掛けて綺麗に書くことよりも,手を動かして速く考えることを優先させているからです。
綺麗さにこだわることは必要?
ノート作りに多くの時間を掛けて,色分けしたり,字の綺麗さにこだわったりする子がいます。そのノートを何度も見直すなど,後で活用するのであれば良いと思いますが,綺麗にノートを作るだけで満足し,活用しない子が大半です。それならば,そのノート作りに掛けた時間は無駄なものになってしまいます。
東大・京大受験は教科数が多いため,効率的に学習しなければ間に合いません。ノートを作る時間と問題演習・暗記する時間を天秤にかけると,後者が大切なのは言うまでもありません。
私自身,授業の板書ノートは自分と他人が読めるくらいのほどほどの綺麗さで作成していました。暗記科目については,家では新たにノートまとめをせず,教科書をコピー→重要語を緑のマーカーで塗りつぶし暗記するようにしていました。
問題演習が必要な科目については,ノートの綺麗さ以上に問題数をこなすこと・速さを重視していました。
子どもに「綺麗に書きなさい!」と言い過ぎない
綺麗な字・綺麗なノート作りを子どもに強要する保護者の方がいますが,そうすると子どもは伸び悩んでしまいます。私の教室では,自分と他人が読めるレベルであれば良いことにしています。
自分で読み間違いをするほど汚い字だとミスが発生するため,ある程度の綺麗さは必要です。他人が読めないくらい汚いと,入試でも答案を読んでもらえず,×になる可能性があるので,その点は注意しましょう。
ノートの役割,ノート作りと他の学習の優先順位などを考えると,ノートの綺麗さに必要以上にこだわるのはあまり意味がないと言えます。
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